今日は娘のおかげでとても良い事がありました。
12月になりました
今年も残り1か月となりました。
ほんと1年が過ぎるのは早いですね。
先週までの暖かさが嘘のように、今日はとても寒いです。
昼頃雪も降ってましたし…。
話は変わりますが、先月末の三連休に家族で山登りに行ってきました。
家からも近くて、1時間程度で登れるお手頃な山です。
子どもたちにとっては初めての山登り。
行き帰りの道中、時々弱音を吐きながらも最後まで頑張りました。
頂上で食べたお弁当がおいしかったみたいです。
その日とてもショックなことがありました。
山へ向かう途中、学生の時住んでいた下宿、アパートの前を車で通り、子どもたちに
「そこお父さんが昔住んでた家やで」と言った直後、目に飛び込んできたものは、
両方ともとり壊され、跡形もなくなった光景でした。
半年前にはまだあったはずです。
下宿の方はだいぶ古かったのでとり壊されていても仕方がないと思いますが、
隣のアパートは2年生の時に新築で入居したので、まだ20年経ってないのになぁ。
今年一番の衝撃的な出来事でした(笑)
三連休
今週は何かと忙しい日々になりました。
娘からの手紙
昨日お酒を飲んで帰宅すると、上の娘からの手紙が机に置いてありました。
ぶどう狩り
週末は夏休み最後の休日。
別府
今週末は、妻の両親、兄弟家族の総勢15人で別府に遊びに行ってきました。
昨年からの恒例行事になりつつありますが、子どもたちが小さいうちはできるだけこのイベントを続けたいと思っています。
せっかくなので別府温泉の歴史について調べてみました。
古代より鶴見山麓に温泉があることは広く知られていましたが、鶴見岳の活発な噴火活動で荒地や沼地になっており、整備されていませんでした。
8世紀の初めに編まれた「伊予国風土記」に、神代の昔、大国主命が豊後水道の海底に管を通して、別府の温泉を道後へと導き、少彦名命の病を癒したという神話が記されています。
鎌倉時代には元寇の役で傷を負った武士の傷を癒すため、別府、鉄輪、浜脇などに療養所をつくったとの記録も残されています。
明治に入ると掘削技術が進み別府温泉は一気に発展し、昭和においては、戦後の社会情勢の安定化や経済復興に伴い、温泉開発の勢いが増し、昭和30年代から40年代は急激な温泉開発の時代となりました。
やがて観光ブームが去り、施設の老朽化、各地に様々な温泉施設ができたこともあり観光客は次第に減少したようです。
しかしながら、これだけの温泉群が密集するのは全国的にも珍しい地区であるため、平成になって韓国などの日本国外からの利用客が増加しているようです。
僕の地元愛媛の道後温泉ともつながりがあるようで、少し親近感がわきました。
でも、道後温泉にはまだ入ったことがありません(笑)
37回目の誕生日
37歳になりました。
お父さん、サッカーボールを買う。
今年はワールドカップイヤーですね。
使用済みインクカートリッジとマグカップ
ここ数日で大量の出力。
今日はバレンタインデー
娘はこのバレンタインデーという日をまだよく理解してないみたいで、自分がチョコレートをもらって食べれる日だと都合良く勘違いしております。