別府

今週末は、妻の両親、兄弟家族の総勢15人で別府に遊びに行ってきました。

昨年からの恒例行事になりつつありますが、子どもたちが小さいうちはできるだけこのイベントを続けたいと思っています。

せっかくなので別府温泉の歴史について調べてみました。

古代より鶴見山麓に温泉があることは広く知られていましたが、鶴見岳の活発な噴火活動で荒地や沼地になっており、整備されていませんでした。

8世紀の初めに編まれた「伊予国風土記」に、神代の昔、大国主命豊後水道の海底に管を通して、別府の温泉を道後へと導き、少彦名命の病を癒したという神話が記されています。

鎌倉時代には元寇の役で傷を負った武士の傷を癒すため、別府、鉄輪、浜脇などに療養所をつくったとの記録も残されています。

明治に入ると掘削技術が進み別府温泉は一気に発展し、昭和においては、戦後の社会情勢の安定化や経済復興に伴い、温泉開発の勢いが増し、昭和30年代から40年代は急激な温泉開発の時代となりました。

やがて観光ブームが去り、施設の老朽化、各地に様々な温泉施設ができたこともあり観光客は次第に減少したようです。

しかしながら、これだけの温泉群が密集するのは全国的にも珍しい地区であるため、平成になって韓国などの日本国外からの利用客が増加しているようです。

f:id:ishikawa-ao:20140824230605j:plain

僕の地元愛媛の道後温泉ともつながりがあるようで、少し親近感がわきました。

でも、道後温泉にはまだ入ったことがありません(笑)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。